下みちの旅〜カニ編3 関ヶ原古戦場にテンション上がる!

※ “かに編2”の続きです。

7:30頃起きたぴーぱーです。
食事はご飯のカレー炒め。

今日もコレ食ってガンバロウ!

9時出発!

愛知の濃尾平野には、川が多いです。
木曽川、長良川、揖斐川。木曽三川(きそさんせん)と言うそうです。
なので車で走ると、川沿いの堤防道や、、、

長い橋が多いです。
渡っても渡っても、次々橋が現れます。

満々と流れる川。

静岡の川は河川敷は広くても、実際に流れている部分は狭く浅い印象でしたが、
愛知の川は、水量がとても多く川幅いっぱいに深く流れています。

■船頭平閘門

“せんどうひらこうもん” と読むそうです。

木曽川と長良川を船で行き来できるようにするために作った水門だそうです。
二つの川の水位に差があったので、二枚の門を作って水位を上下させて通行できるようにしたそうです。パナマ運河と同じですね。

これが水門。もう一枚の門は写真手前にあるのですが、35mmレンズでは画角に入らないモン。

明治に作って、今は橋ができたので滅多に使わないらしいですが、それでも年間200回くらい使うそうです。と言うことは2日ここで粘れば、一回くらいは見られるかも。
「粘ってみるか?」と言いかけましたが、否決されること間違いないのでやめときました。

木曽三川の改修工事をしたヨハニス・デ・レーケの像。

札幌のクラーク像を思い出す。

■七里の渡し

次も、川関係の史跡。

江戸時代の東海道で、唯一渡し船により通行していた区間(“海路”と言うそうです)の渡し場。
海路長が七里(27km)だったそうです。
ちなみに大井川、天竜川などは、船ではなく歩いて渡河していたので、“海路” にはならないそうです。
確かにあの少ない水量なら渡河も可能だったかも。でも以前、山で川幅わずか数メートルの川を歩いて渡河したことがありますが、秋だったせいもあって、冷たい水で脚がキーンと痛くなって、立ってられずに対岸に倒れ込んだ事があります。冬の大井川、天竜川の渡河は、かなりムチャだったのでは?と思います。

ちなみに東海道はその後、今旅している国道1号に取って代わられた訳ですね。

水戸黄門も渡ったか?

その船着き場。現在工事中。

渡し場隣接の宿場町 “桑名宿” も散策。
水辺が暮らしのすぐそばにある静かな街でした。

ちなみに歌手の桑名正博は、調べたらここの出身ではありませんでした。

愛知県を後にして進みます。
この先で関ヶ原を超えて日本海側に入ります。
新幹線で関ヶ原を走ると、冬場は急に雪が降ってきたりしますよね。
標高はそれ程高くないと思うのですが、太平洋側と日本海側を分ける分水嶺なのですね。

関ヶ原超えると雨かなあ、、、そんなこと考えながら走っていたのですが、、、そう言えば、

“関ヶ原の戦い”って、何処でやったのかな?

急遽、ケータイで調べてみると“関ヶ原古戦場” と言うのがありました。
しかもすぐそば。これは行ってみるしかありません。

夕方になって急にテンション上がったぴーぱーです。
何しろ天下分け目の戦いですが、実際に史跡が残っているとは知りませんでした。
いったいどんな所なのでしょうか?

■関ヶ原古戦場

古戦場が近づくと、家々に “三つ葉葵の紋” をはじめ、様々な家紋の入ったのぼりを見かけるようになりました。

もしかしてこの辺の家は、巨人ファン、阪神ファンみたいに、徳川ファン、豊臣ファンとかあるのでしょうか?

決戦地は左折!

“決戦” と言えば、ドリカムの「決戦は金曜日」くらいしか思いつかないぴーですが、緊迫感や本気度、崖っぷち感みなぎる言葉ですね。

決戦地近くで写真を撮ったら足軽の幽霊が写ったあぁ、、、!

ブレただけです。
正体はこの方。甲冑体験している観光客ですが、ポーズが決まりすぎ。

駐車場に車を駐めて、、、

日没間近。滑り込みセーフ。

小山の階段を上って石田三成陣地へ。そこから決戦地全体が見渡せるらしい。

階段の脇にあるこんな造作にもテンション上がります。

陣地到着!

2、3分で上がれます。

ワーオ!!

この眼下に各大名が陣取って戦ったのですね。

見下ろすと、わりとこじんまりとしたエリアで戦ったことがわかります。
でもシーバーも携帯も無い時代に、どうやって援軍同士連絡を取り合ったのでしょうか?
「家康が味方の大名が戦わないので、催促の火縄銃を撃った」と案内板のテープがしゃべっていましたが、そんなので意思疎通できるんかいな?

陣地下の決戦地も歩く。

ここがバトルフィールド。普通の田んぼ地帯ですが、やはり何か違うような、、、感じます。

さっきの甲冑体験は、ここで貸してくれるそうです。ただし有料。

元学校の様な建物です。放課後トイレに入ったら、落ち武者の幽霊が隣で用を足してたりして、、、

結局真面目に戦ったのは石田三成くらいで、多くの大名は様子見して勝ちそうな方に寝返ったらしい。その後、石田三成は捕らわれて斬首。報われない。

日も暮れてすっかり暗くなってしまいました。
関ヶ原を超えて日本海側に来るとやはり雨。

■塩津園地

途中、琵琶湖の最北湖岸の塩津園地を目指します。
端っこ好きのぴーぱー的には、ここも外せません。
すぐ近くまで来たのですが、真っ暗で何処が園地なのか解りません。
細道で脱輪すると大変なので、諦めて国道へ撤退。

明るい補助ランプ、やっぱり要るかなあ?

夕食はハンバーグ。
例によって車内で調理したら、車内に臭いが付いてしまいました。
予想はしていましたが困った問題。リセッシュしたけど消えるかどうか、、、

もうすぐ就寝。

今日の走行距離138km。

下みちの旅〜カニ編4〜へつづく