下みちの旅 北海道~3南三陸町

今朝の朝食。

カレー炒めご飯玉子かけ。インスタ映えしそう。

今日は、二日ぶりに温泉旅館泊です。楽しみです。
宿まで走るだけなのでスケジュールにも余裕があります。
ぱーが、

途中のサンサン市場に寄ってみよう!

と言うからそうする事にしました。
なんでも地元の海鮮が豊富な市場だそうです。

ところが近づくにつれてわかったのですが、
そこは東日本大震災の津波で被害を受けた、
南三陸町に新しくできた市場でした。

思い出話になりますが、

ぴーぱーは、震災が起きた3ヶ月後に、仕事でここ南三陸町に来た事があるのです。
サファリの走破性を買われて被災地の撮影取材に駆り出されたのです。
ちょうどその頃はATタイヤ履いていたので、スコップとチェーン、ヘルメット、水と食料積んで、ガソリン満タンにして被災地に入りました。
まだ余震も続いていたし、復興も始まったばかりの過酷な状況だった南三陸町。
友人でもあるクライアントとぴーぱーの3人で、デイビーに乗って緊張して現地入りしたのを憶えています。

サファリの走破性が活きたのは、がれきの中の細い泥道で自衛隊車両とのすれ違いで道を譲って、深さ30cmくらいの大きな水たまりにはまった時です。
その時は4WDでよかったと思いましたが、今から思えば、むこうは大型の全輪駆動トラック。コッチは小さな四駆。普通ならソッチが道譲ってくれればいいのですが、その時は復興作業のジャマしちゃいけないと思ったから譲ったのです。実際その通りですが、、、意外にあっさり脱出できてホッとしたものです。さすがサファリ。

またその時の宿泊は、被災地の海沿いの高台のホテルだったのですが、そこは津波の被害を受けなかったので、
通常営業の日常風景だったのに違和感を感じました。ほんの少しの高低差が分けた命運。
大勢の作業着姿の人たちに混じって、ホテルの朝食バイキングを食べたのが印象的でした。

そして現在の南三陸町。
海岸線と川の両岸は、防潮堤でまるで何かの要塞か基地のよう。

鉄壁の守り。

かつて町の中心地だった場所は、震災復興祈念公園になっていました。

土を盛って作った丘の上の慰霊碑に合掌。

被災した防災庁舎。

テレビでもかなり紹介されましたが、当時は漁網や浮きが絡まった姿で壮絶の一言でした。
ここで大勢の人が亡くなったかと思うと、心を何かでグッサリ刺されたような気がしました。
10年後の今は、壮絶さはなくなりましたが、もの悲しさだけが残っています。

津波で曲がった階段手すり。

避難した大勢の人が流された屋上。
この屋上が、あと2、3m高ければ、流される事はなかったかも。
その人たちの、その時の事を想像すると、、、無念。

献花台で再び合掌。

サンサン広場は、新鮮な魚貝と沢山の観光客で賑わっていましたが、ここまで来るには大変な道のりだったことでしょう。

復興の為に何か食べようかと思いましたが、2500円の本まぐろ丼は、さすがに注文できませんでした。
気持ちだけでカンベンして下さい・笑。

サンサン市場を後にして、一路大沢温泉へ。
岩手県入り!

岩手県の景色は、北海道と似ています。
自然も似ているし、、、

住宅街も似ています。

理由は、家々に外構(塀、垣根、門)が無いからだとぴーは思います。
積雪地では、そう言う物を作らないのでしょうか?

やって来ました大沢温泉。
(この宿の詳細は、ぱーのブログへ↓)

この宿も、さっきの取材とは別の復興関連の仕事の後で、一息つくために二人で来た温泉です。
ここのお湯の良さが印象深くて、今回再訪したわけです。
あれから10年。早いものです。

部屋からの眺め。

眺めもお湯もサイコー。値段は破格値。素晴らしい宿です。

風呂上がりは、お約束の湯飲みでビール。

夕食は湯治部なので自炊。

今日の移動距離。172km。